爺の遺言〜「シネレンズ」シリーズテスト・第3回 : クック スピード パンクロ


テストに対する質問

 日本を代表する光学会社のレンズ設計者から質問がありました。
 「なぜ、F5.6で撮影しているのですか?」

 ごもっともです。最近は、レンズの絞りを開いて、被写体の前後をボカす手法が流行しています。
 爺がF5.6で撮影する理由は「光の性質」を考慮したからです。ちょっと固い話ですが、基本中の基本ですから、お付き合いをお願いします。

■光の性質

 さまざまな資料を読むと、光の性質は以下のように説明されています。
 「光は粒子と波の両方の性質を持っている」や「光は粒子であり、波である」と。
 この説明で理解できますか? 爺も訳がわかりませんでした。

 光(白色可視光線)をプリズムに通すと、図1のように分かれるのはどなたもご存知のとおりです。

 光の進行を横から見ると「赤は波長が長く、紫は波長が短い」のも常識ですね(図2、3)

■波の回折現象

 海の波を思い浮かべてください。外洋から陸に対して真っ直ぐにやってきた波は、防波堤があると、防波堤の内側に回り込んでいきます(図4)

 これを「回折」と言い、防波堤の代わりに「絞り」、波の代わりに「光」を置いても同じ現象が起こります。
 波や光の通り道にある障害物の幅が狭くなると、回り込みが大きくなります。
 このことを「絞りをF16など、小絞りに絞るとピントが甘くなる」と解説するのです。

 一方「光はあらゆる方向に振動している」とも解説されています。とすると、正面に飛んでくる光は、スピンしながら飛んでくるように見えるはずですし、あらゆる方向の振動なら、球体になって飛んでいるとも見えるはずです。
 赤の波長が長いことは、スピン(球体)が大きく、紫は小さいことを示しています(図5)

 赤も紫も光の粒子の大きさは一定だとすると、色によってスピンと波長が異なれば、「フィルムやセンサーに当たる面積が違う」ことになります。これが「色収差」の根本的な原因になっています。

 色収差の補正は、大きな赤の光の環を、小さな紫の光の環へ合わせる補正にほかなりません。これがうまくいかないと、直線の被写体の外側に赤いエッジが見えてしまうことになります。また、焦点距離が長くなればなるほど、色収差の補正が困難になります。

 旧型のレンズで設計が少々甘く、フィルムの性能がさほど高くなかった時代でも、画面の拡大率が小さければ、肉眼で見る限り破綻のない画像が形成できていました。
 ところが、デジタル画像が4Kや8K、またはそれ以上になり、センサーの1ピクセルの大きさが小さくなり、密度が大きくなると、光の性質が無視できなくなります。
 これが、「1ピクセルが5ミクロン以下になるとまともな画像にならない」と言われる根拠でしたが、番外編で登場したレンズ設計者の柴田さんは「現在では、1ピクセル1ミクロンでもなんとかなる」と力強い意見を述べておられました。

 また、色によって、振動の大きさと波長が違えば「ピントの合う位置が色によって違う」ということが言えます。根本的な解決方法は「RGB 3板センサーを、おのおのの光のピント面に置くこと」でしょう。デジタルソフト処理で収差を補正する技術が発達しても、色によってピント面が異なる現象には対処できていません。LSI回路をシリコンウエハーに焼き付けるのに単色光を使うのも、正確なピントを維持するためです。 

 これらの事実から、高精細画像用のレンズ設計者は必然的に「ザイデルの5収差」(1.球面収差、2. コマ収差、3. 非点収差、4. 歪曲収差、5. 像面の湾曲)および色収差を厳密に補正しようと努力することになります。すると「味がない、写り過ぎる」という評価が付いて回ります。これでは、レンズ設計者は浮かばれません。

 また、レンズ設計者にとって、「使ってもらいたいF値」は設計者本人がよくわかっているのです。それがおおむねF4〜F5.6の間になることは、カメラ雑誌のレンズ性能解説記事に繰り返し載っているとおりです。
 同じように、カメラ雑誌によくあるコメント「絞り開放から使えるレンズ」という評価は「破綻が判別できない拡大率では」という注釈を付けなければ、正確ではありません。

 フィルム映画の場合、ネガ面積の30万倍に拡大しても良好な画質が保てるのは、実証されています。35mmでは幅12m程度ですが、ここまで拡大すると「レンズを絞らないことによる欠点」は一目でわかってしまいます。
 最近のシネコンでは幅8m程度のスクリーンが多くなっていますが、この拡大率ではレンズのもつ画質の違いがわからないのも、また事実ですが。

 今後、デジタルでも大型の映写が可能になり、幅20mを超えるスクリーンが登場すると「レンズの味などを語っている場合ではなくなる」と申し上げておきましょう。
 ま、スマートフォンの小画面で映画を見ている分には「どんなレンズでも破綻はない」のですから、レンズの性能を語るのは無意味ですね。 

 レンズのさまざまなデメリットを消し、拡大率が大きくなっても破綻が起こらないF値を選べる「絞り機構」は、「魔法の杖」です。レンズの最高性能を得たいために適切な絞りに絞るのは、プロとして映画を見る観客に対する礼儀です。
 これらの理由から、爺はF5.6を選んでテストしているのです。

クックレンズの歴史

 前置きが長くなりました。第3回は、35mmスタンダードサイズをカバーする、クック スピード パンクロ(Cooke Speed Panchro)シリーズです。

 インターネットで、“History of Cooke Lens” を検索してみました。要約すると、下記のとおりになります。

 イギリスの、T.Cooke & Sons of Yorkは、天体望遠鏡を製作する会社として発足。
 1893年、同社の技術者H.Dennis Tayrorが3枚のレンズで構成する「トリプレット(Triplet)」を設計開発。このレンズは、それまでのレンズに比べて収差の補正が格段に優れていました。

 レンズ設計技術の蓄積を経て、1921年、スピード パンクロ シリーズ0 F2(焦点距離不明)を開発し、1926年に製品カタログに掲載。
 1930年、35mmスタンダードフィルムをカバーする、24, 28, 32, 35, 40, 47, 50, 58, 75, 100, 108mm F2のシリーズが完成。
 1945年、SERII 18, 25, 32, 40, 50, 75mmを発売。
 1954年、SERIII 18, 25mmを発売。

 さらに1959年には、16mmスタンダード用のキネタール(Kinetal)シリーズとして、9, 12.5, 17.5, 25, 37.5, 50mm T2、75, 100mm T2.8、150mm T4を発売。

 この2つのシリーズは、世界のシネレンズ市場を席巻し、「ハリウッド映画の80%はクックで撮影されている」とまで言われたほどでした。

 その後、1959年から60年代の前半には、ディープ フィールド パンクロ(Deep Field Panchro)100mm F2.8のほか、テレ パンクロ(Tele Panchro)152mm F2.8、203mm F4、317mm F4.5、318mm F4、406mm F4、558mm F5.6を発売し、シリーズを充実させていきました。
 さらに1970年代に入ると、時代の要請に従って、ズームレンズ(Varotal)の開発が加速します。

 そして現在では、PLマウントの優れたレンズ群「S4」、「5」などを開発、発売中で、高い評価を保っています。

爺のクックレンズ

 19本ありますが、ブルー、アンバー、マゼンタ、マルチとレンズコーティングもさまざまに移り変わって歴史を感じさせます(写真1)

 巨大な317mmもパンクロシリーズの1本です。もっとも、左半分は長大なレンズフードです(写真2)

 現在、爺の手元には、18, 25, 32, 40, 50, 75, 100, 152, 317mmが良好な状態で保存してあります。今回はこれらのレンズをテストします。

 クックのレンズは、経年変化で黄色に着色していく傾向があることは、何度も書いていますが、その原因について「一般的に、宇宙で使うレンズのガラス(硝材)は、材質によっては強烈な放射線を浴びると、ブラウニングといって、濃いお茶が濁るような状態になる場合があることが知られている(失透)。光学ガラス(硝子)の発達過程に置いて、放射性物質(酸化トリウム)を含んだ硝材がつくられたことがあった。それらのレンズは内部から放射線の影響を長期に渡って受けている、と考えられる。ただし、鏡胴に使われている油脂やレンズの接合剤の劣化によっても、広い意味での失透が生じることがある。クックはその傾向が目立つのではないか」という情報があり、非常に参考になりました。かえって、その黄変することが人気になっているのは、面白いことです。

クックレンズの価格

 ちなみに、「ヤフオク」では、スピード パンクロは1本も出品がありません(2015年6月現在)。

 ebayで出品とおよその平均価格を調べると、18mm−25万円、25mm−32万円、32mm−22万円、40mm−33万円、50mm−30万円、75mm−42万円、100mm−40万円程度で数本ずつ出品があり、152mmと317mmは1本もありませんでした。

 発売当時の定価が守られているようで奇妙な現象です。それだけ貴重なレンズだ、ということを世界が認識しているのでしょう。

テスト条件と基準レンズでの撮影

 テスト条件は、第1回、第2回と同じなので、第1回目に掲載したテストの前提条件をご参照ください。
 今回は35mmスタンダード用なので、カメラはソニーα NEX-7。レンズの絞りはF5.6です。テスト日は晴れていましたが、日陰の被写体なので、カメラのホワイトバランス設定を日陰にしました。感度はISO200です。
 
 NEX-7の日陰設定は、ニッコールの爽やかなシアン発色を抑える効果があるようで、ウオームトーンに写り、わずかにマゼンタに寄ります。いつ撮影しても安定した尖鋭な画質です(写真3)

スピード パンクロ18mm T2.2 SER III[No. 769169]

 ニッコールと比べても、ほとんど同じ発色です。18mmの超ワイドレンズでF2の明るさのレンズですが、優れた尖鋭度です。両側の建物の垂直線には僅かに「たる型」のディストーションが残っています(写真4)
 このレンズは、スピード パンクロ シリーズでも最新のシリーズIIIです。レンズコーティングが改良され、設計も新しくなっています(写真5)

スピードパンクロ25mm T2.2[No. 747014]SER III
スピードパンクロ25mm T2.2[No. 768093]SER III

 この25mm2本は、肉眼で見ると若干コーティングの色が違いますが、ほとんど同じ発色で、尖鋭度も変わりません。左の建物の色を見ると、18mmと区別が付かない色彩で統一されています。たる型のディストーションがわずかに残るのも18mmとよく似ています。この2本もシリーズIIIの最新型です(写真6、7)

スピード パンクロ32mm T2.3[No. 535766]
スピード パンクロ32mm T2.3[No. 536664]SER II
スピード パンクロ32mm T2.3[No. 773602]SER II

 写真8にシリーズ名はありません。写真9はシリーズIIですが、クックの特色である黄色に着色した画面になっています。これに対して写真10は18, 25mmと同じ発色です。
 製造年代が古く、使いこまれたクックは黄色に着色していきますが、この傾向が良くわかる3本です。

スピード パンクロ40mm T2.3[No. 515963]
スピード パンクロ40mm T2.3[No. 651164]SER II

 この2本は、製造ナンバーが古いほうが、黄変が少ない画面になっています。保存の仕方、酷使のされ方で変色の傾向が逆転したのでしょう(写真11、12、13)

スピード パンクロ50mm T2.3[No. 472149]SER II
スピード パンクロ50mm T2.3[No. 652633]SER II
スピード パンクロ50mm T2.3[No. 733586]SER II
スピード パンクロ50mm T2.3[No. 775914]SER II

 50mmの4本は古い順に黄色の着色が多くなっていて、順調に使われてきたことがわかります(写真14〜17)

 18mmと25mmはSER IIIですが、32mm以上のレンズはSER IIまでで、SER IIIは存在しません。SER IIで改良を必要としないほど完成された性能をもっていたのでしょうか(写真18)

スピード パンクロ75mm F2[NO. 229323]
スピード パンクロ75mm T2.3[No. 537998]
スピード パンクロ75mm T2.3[No. 768630]SER II

 この3本の75mmも古い順に黄色になる傾向がありますが、最古の[NO. 229323]を見ても、黄変は僅かで、尖鋭度も申し分ありません。スピード パンクロ シリーズは最初期からこのような優れた画質を維持していたからこそ、世界のベストセラーレンズになったのでしょう(写真19、20、21)

 [NO. 229323]はTナンバー表示はなくFナンバー表示です。SER名もありません。製造番号からして旧タイプでも古い個体だと思われます(写真22)

ディープ フィールド パンクロ100mm F2.3[No. 508158]

 ディープ フィールド パンクロ名の唯一のレンズです。写真20の75mmと同じような発色で、製造ナンバーから同年代のレンズだとわかります(写真23)

テレ パンクロ152mm T3.2[No. 536318]

 望遠系、テレ パンクロ シリーズの1本です。写真23の100mmと同じ傾向の描写をします(写真24)。 

テレ パンクロ317mm T4.5[No. 517113]

 317mmもテレ パンクロです。317mmの望遠レンズでありながら、椅子のベルベット布地の質感は抜群です(写真25)

クック スピード パンクロの総括

 レンズナンバーの上2ケタが製造年を表すとすると、さすがに50万代以下のレンズは、黄変が目立ってきます。新しいレンズを混用して映画撮影に供すると、色彩調整に苦労するでしょう。

 とは言え、黄変や製造ナンバーに関わらず、どのレンズで撮影しても尖鋭度は現代のレンズと遜色ありません。黄変の度合いが同じ傾向のレンズを組み合わせて、統一された色彩で撮影すれば、ノスタルジー豊かで、ちょっとレトロな表現には抜群の性能を見せてくれるレンズ群です。

 たとえば、爺がイギリスの古いパブのシーンを撮影しようとする場合、タバコの煙で燻され、ウイスキーやエールのアルコールで磨きこまれたマホガニーのカウンターや、額縁の周辺の銀蒸着が黒変したパブミラーのイメージが浮かびます。そのカウンターでぬるいビールを飲む、ツイードの背広を着た「ショーン コネリー」を描写するレンズは、躊躇なくクックを選びます。

世界のレンズ設計者に影響を与えた銘レンズ

 クックのトリプレット、ツァイスのテッサー、アンジェニューのレトロフォーカスなど、革新的なアイデアをもったレンズが、世界のレンズ設計の基本となって、日本のレンズにも大きな影響を与えました。平たく言えば「全世界のレンズ製作会社がパクった」と言っても過言ではないでしょう。
 4K、8Kに突入しようとする時代、日本のレンズは、どのよう変化、発展していくのでしょうか。


荒木 泰晴

About 荒木 泰晴

 1948年9月30日生まれ。株式会社バンリ代表取締役を務める映像制作プロデューサー。16mmフィルム トライアル ルーム代表ほか、日本映画テレビ技術協会評議員も務める。東京綜合写真専門学校報道写真科卒。つくば国際科学技術博覧会「EXPO’85」を初め、数多くの博覧会、科学館、展示館などの大型映像を手掛ける。近年では自主制作「オーロラ4K 3D取材」において、カメラ間隔30mでのオーロラ3D撮影実証テストなども行う。

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