爺の遺言〜「シネレンズ」シリーズテスト・第7回 : バルター


バルター(BALTAR)

 バルターは、アメリカ合衆国ニューヨーク州ロチェスターの、「ボシュロム(Bausch & Lomb Optical Company)」が製造したシネレンズシリーズです(写真1)

 ボシュロムは、1893年、ドイツ系移民のジョン ジェイコブ ボシュ氏(John Jacob Bausch)とヘンリー ロム氏(Henry Lomb)が設立。1915年からレンズの製造を開始しました。
 ツァイスのテッサー(ボシュロム テッサーは有名)、プラナー、トポゴンなどをライセンス生産していましたが、第1、2次大戦中にドイツからレンズを輸入することができなくなり、自社製のレンズを製造せざるを得なくなりました。

 バルターのレンズ構成はガウスタイプですから、プラナーやスピードパンクロを参考(デッドコピー?)にしたと考えられます。

 バルター以前、「ジェネラル サイエンティフィック(General Scientific Corporation of Chicago〜社名からして国策会社のイメージ。現在、同名の会社を検索すると軍需産業の会社に行き当たる)」のミルター(Miltar〜開放絞りF2.2のシリーズ)やキナー(Kinar〜開放絞りF2.3のシリーズ)ブランドのレンズは、「バルターの仮の姿」という説があります。

 それは、1939年、ナチスドイツがポーランドに侵攻。第2次欧州大戦が始まってもアメリカは参戦しませんでした。ボシュロムはツァイスとのライセンス契約があるために、大っぴらにコピーできず、別会社が製造したことにしてブランド名を変え、1941年、日本の真珠湾攻撃を契機に参戦したとき、すでに完成していたキナーをバルターに名を変えた、という説です。

 ボシュロムがバルターの製造会社として表面に出た年は、製造番号表の「製造開始1941年」を見ると納得できるでしょう。なんだかスパイ小説を読んでいるようですね。

 ミルターの名称はミリタリー(Military〜軍用)から採ったようで、国家が戦時報道用に大量に発注したとすれば、バルターのルーツが理解できます。すると、バルターはバトル(Battle〜戦闘)の捩りのようにも思えてきます。

 バルターは、アメリカ製映画カメラ、ミッチェルやアイモに装着されて、第2次大戦の戦場でも大活躍しました。
 ざっくりした毛糸のセーターを着たロバート キャパ氏(Robert Capa)がシングルマウントのアイモを構える有名な写真がありますが、この写真に写っているレンズはちょっと細身のレンズで、フードを外したバルターまたはミルター75mmのように見えます(写真2)

 1926年には「レイバン(Ray-Ban)」ブランドのサングラスを製造開始。現在ではシネレンズより、レイバンのほうが知られています(写真3)。そして、1971年には世界で初めてソフトコンタクトレンズを実用化しました。

 ロチェスターには、フィルムを製造する「イーストマン コダック(Eastman Kodak Company)」も本社を置いています。コダックはフィルムのほかに、16mm映画カメラ用のシネエクターを生産していましたから、ライバルとも、アマチュア向けとプロ向けの補完関係にあったともいえます。

 フィルムとレンズのメーカーが一地域に集まったことによって、映画産業全体の発展に寄与したのでしょう。

テストするレンズ

 爺の所蔵するバルターは、アイモ(Eyemo)マウントが3本(写真4)、ミッチェル(Mitchell)マウントが7本(写真5)の合計10本で、すべて35mmスタンダードをカバーします。

 資料によれば、20mm、25mm、30mm、35mm、40mm、50mm、75mm、100mmのF2.3、152mm F2.7とF2.8の9種の焦点距離でシリーズが組まれていました。

 後に、性能を向上させた、スーパーバルター(Super Baltar)が登場し、20mm、25mm、35mm、50mm、75mm、100mmのF2、152mm F2.8のシリーズが整備されました。
 また、16mm用のバルターもありますが、どちらも爺は所有していません。

 第2次大戦中から戦後にかけて、クックやドイツのレンズ生産が安定するまで、ハリウッド映画は、バルターと在庫の中古レンズで撮影されていました。
 爺のバルターはどんな歴史を見てきたのでしょうか。クックやツァイスなど他のメーカーのレンズと比べて、どんな性能をもっているのでしょうか。
 テストの前提条件は、第1回ご参照ください。写真6は、いつものニッコール50mmです。安定した画質は変わりません。

アイモマウントのバルター

 35mmは製造ナンバーからすると、第2次大戦開戦の年、最初期につくられたレンズです。この3本は、アイモの3本ターレットに装着された標準セットでした(写真10)

 レンズ鏡胴のデザインは3本ともバラバラで、統一感がありません。手持ちで振り回すアイモに装着する報道用のレンズなので、絞りとピントリングがあるだけの単純な鏡胴ですが、それぞれのリングの太さやデザインは異なっています。「触っただけで、どのレンズかわかる」という利点もあるとは思いますが、同じ太さ、同じデザインのリングが、同じ場所にあるほうが、操作を間違わないでしょう。

 ヘリコイドはストッパーがなく、繰り出し過ぎるとレンズが抜け落ちます(写真11)。逆に「抜け落ちる直前までマクロレンズのように近接撮影ができる」ともいえます。
 また、ヘリコイドが自由に取り外せることは、砂が噛んだときの清掃やグリス交換が簡単、という特長もあるわけです。
 カメラマウント側にヘリコイドを固定するネジが付いています(写真12)

ミッチェルマウントのバルター

 この7本は終戦から、戦後の早い時期につくられています。日本映画全盛時代と重なり、多くの作品を撮影してきたのでしょう。

 ミッチェルマウントのレンズ群は、アルミの白鏡胴で、アイモマウントとは一転して、デザインが統一されています。
 マウントはミッチェルマウントですが、マウントというより、4本ターレットに4本のネジで固定してしまいますから、交換レンズといえるかは疑問です(写真20)。カメラマンの好みのレンズが4本あれば、たいていの劇映画は撮影できる、ということなのでしょう(写真21)

 また、ネジ止めで固定されているため、バックフォーカスを一度合わせれば狂わないので、確実にレンズ性能を発揮できました。

 75mmのフォーカスリングには、フォローフォーカス用のギアが取り付けてあります(写真22)

 他のレンズにはありませんが、取り付けることはできます。アイモマウントの報道用に対して、劇映画用のレンズです。
 レンズは、焦点距離に応じた専用のヘリコイド付きです。このヘリコイドもストッパーがないので、レンズ本体が抜け落ちます。
 アイモマウントとは違って、ヘリコイドに固定するネジが付いています(写真23)

バルターのナンバーと製造年代

 バルターでは、レンズナンバーの頭に付いているアルファベットの1文字目が、下記のように製造西暦年を表しています。製造は1941年から1963年の23年間となっています。

・A-1941
・U-1942
・M-1943
・V-1944
・B-1945
・T-1946
・L-1947
・W-1948
・C-1949
・S-1950
・K-1951
・X-1952
・D-1953
・R-1954
・J-1955
・Y-1956
・E-1957
・P-1958
・H-1959
・Z-1960
・F-1961
・N-1962
・G-1963
 
 年代順にAから並べたほうがわかりやすいと思いますが、バラバラなアルファベットに意味はあるのでしょうか。そして、アルファベット2文字目のFは写真用(フィルム用?)となっています。すると、A、S、Rはなにを表すのでしょうか。

 コダックのシネエクターには1〜10を表す “CAMEROSITY”の2文字がレンズナンバーの最初に付いていて、製造西暦年の下2桁を表しています(写真24)

アメリカ製レンズの思想

 アイモマウントもミッチェルマウントも、レンズのヘリコイドというよりピッチの大きな太いネジのように見えます。戦時下で工作機械の精度が少々劣っていても、容易に大量生産できるような設計思想なのでしょう。

 ヘリコイドに戦車や航空機に使うグリスを塗って潤滑し、「砂や埃で汚れたらヘリコイドを取り外して現場でグリス交換せよ。慣れて使いこなせ」という主張をしていると考えられます。戦場で、ハリウッドのプロカメラマンや軍隊の報道班員が手荒く使っても壊れないタフさが、レンズにもカメラにも求められたことは想像に難くありません。

 シュナイダーやツァイスのレンズ鏡胴のように、美しいデザインとは、お世辞にもいえませんが、押さえるべきところは押さえてある、アメリカの合理主義を前面に押し出した愛すべきレンズ群です。

特別なバルター?

 バルターのレンズ名を示すリングに、黄色の点(Yellow Dot)や紫の点(Purple Dot)が刻印されたものがあります(写真25)。このようなレンズは特別な表示があるとして珍重されているようですが、試写した限りでは性能に差は感じられません。
 キナーにも同じ色の点表示があり、OEMである、との論拠になっています。

バルターの特徴

 両マウントのバルターは、レンズそのものは同じですから、絞り羽根の数も同じです。どのレンズも真円に近く絞ることができますから、ボケは美しく、スタジオで照明をふんだんに使って、“マリリン モンロー” など、アメリカの女優を撮影するには適していたのでしょう(写真26)

 一方、テスト画面の色再現は、ニッコールと比べると、少々セピアと黄色に偏っているように見えます。ドイツの「ショット(Schott AG)」の光学ガラスとは一線を隔しているようで、お国柄が現れているのでしょうか。色彩は重厚でこってりしたトーンに味付けされます。

 以前、MUKカメラサービスの小菅社長のNEX-7で試写したときには、テクニカラーを彷彿とさせるセピア調に再現されました。ちょっと日焼けした “ジョン ウエイン” の渋紙色の肌を思い出してください。強烈な日光の下で撮影されたテクニカラーの色再現には、バルターが一役買っていたのかもしれません。
 また、10本とも、同じ傾向の色彩とトーンで見事に統一されています。

バルターの研究

 バルターに関する研究資料は、インターネットで検索しても多くありません。あまりにも普通で消耗品扱いのレンズだったためか、アメリカ製のレンズは評価されなかったのか、理由は推測するしかありません。しかし、アメリカ映画の歴史を創造してきたレンズであることは疑いありません。

 オークションを見ると、出品数は多く、高価になったとはいえ、まだ手が届く価格帯にありますから、実写や研究のために「購入して使える」レンズシリーズといえましょう。

35mm用のシネレンズを総括して

 経年変化の影響が大きい「クック スピード パンクロ」も、新しい状態では見事にそろった画質と色彩でした。ドイツのシュナイダー、ツァイス、国産のシネフジノン、アメリカのバルターは、現在でもシリーズとして統一された性能を維持しています。

 また、それぞれの製造会社が「かくあるべき」と、強い主張と個性をもっているのがシネレンズです。自分の好みのレンズだけシリーズを無視して使うことは、やってやれないことはありませんが、仕上げに時間と資金が掛かることを覚悟しなければなりません。

 現在のシネレンズも同様で、ツァイスのプライム、シュナイダーのシネゼナー(Cine-Xenar)、ライツのズミルックスC(Summilux-C)など、これらのレンズシリーズをバラバラに混ぜて使うプロカメラマンは、いないでしょう。
 プロであるならば、最少の時間と資金で、最良の結果を得ることが求められます。シネレンズをシリーズで選ぶことは、その第一歩だ、と爺は思います。

次回以降

 今回で、爺の手元にある35mm用レンズシリーズは終わりです。

 次回以降は、
・各社の看板レンズともいえる50mmを採り上げて、シリーズを横断するテスト(50mmは16mm用のレンズでも、APS-センサーをカバーしますので、どのような違いがあるのか、爺の興味は尽きません)
・各社の超広角レンズテスト
・各社の落穂拾いテスト(アンジェニュー、アストロなどの35mm用レンズなど)
・クックキネタールを中心とする、16mm用アリマウントレンズテスト
を考えています。

 読者諸氏のリクエストも歓迎いたします。


荒木 泰晴

About 荒木 泰晴

 1948年9月30日生まれ。株式会社バンリ代表取締役を務める映像制作プロデューサー。16mmフィルム トライアル ルーム代表ほか、日本映画テレビ技術協会評議員も務める。東京綜合写真専門学校報道写真科卒。つくば国際科学技術博覧会「EXPO’85」を初め、数多くの博覧会、科学館、展示館などの大型映像を手掛ける。近年では自主制作「オーロラ4K 3D取材」において、カメラ間隔30mでのオーロラ3D撮影実証テストなども行う。

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